会長挨拶
会長からのご挨拶
辻 祥子(松山大学)
2024年11月に本学会の会長を拝命いたしました、松山大学の辻祥子と申します。中四国アメリカ学会は、その名の通り、超大国アメリカを文学、歴史、法律、政治、経済、社会などさまざまな見地から、分野横断的に研究することを目的に、1973年広島で創設され、以来、地方学会ならではの密な交流によって多くの成果を上げてきました。現在、中国・四国地方のみならず、全国から研究者が集い、研鑽を高める場となっています。2023年には50周年の節目を迎え、記念論集『アメリカ研究の現在地―危機と再生』(彩流社)も出版されています。長年、本学会の活動を支えてこられた先生方の熱意とご尽力に、まずは深く感謝を申し上げます。今回、その運営に関わらせていただくことになり、身の引き締まる思いでございます。微力ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。
個人的な話になり恐縮ですが、私とアメリカとの出会いは、1988年、大学3年の夏、語学留学のため単身ボストンの地を訪れたときに遡ります。当時、第41代大統領を決める選挙を控え、地元出身の民主党候補デュカキス氏が、共和党候補ブッシュ氏を相手に激しい選挙戦を繰り広げていました。どちらが勝つか、ホストファミリーの中でもその話題で持ちきりでしたが、応援する政党や候補者が違っても、彼らには議論を楽しむおおらかさと余裕がありました。街なかを移動する際、ホストが乗せてくれたのは、私が見たこともないような大型車「リンカーン」でした。彼はよくこの愛車の乗り心地を自慢し、「日本車は小さくて窮屈だ」と言ったものです。国の象徴の一つともいえるアメリカ車が、燃費のよい日本車に押され気味になっていることに心穏やかではいられないようでした。そのとき、偶然にもカーラジオから聞こえてきたのが、レーガン大統領による第二次大戦時の日系人収容にたいする謝罪表明でした。ホストが “Good News!”と大声で知らせてくれました。1か月の滞在は、大国アメリカの全貌を理解するには短すぎました。しかし、この国の様々な可能性や魅力に触れ、心の高ぶりを抑えられなかったことを今でも覚えています。
あれから、36年。再び大統領選挙の年が巡ってきて、第47代大統領にトランプ氏が返り咲きました。物価高や不法移民の流入に不安を覚え、少数派や女性の権利の主張に不満をため込んでいた労働者階級や保守層が、「強い」リーダー、トランプの復活を求めたと言われています。しかしトランプ氏自身が、そういった人々の不安や不満をさらに煽り、国内の分断を深刻化させています。自分たちの主義主張を批判する人を「内なる敵」と称して排除しようとする彼のやり方は、異国の独裁者にも似ていると指摘され、国内の民主主義は大きく揺らいています。さらにトランプ大統領率いるアメリカが自国中心主義の殻に閉じこもり、民主主義のリーダーの座から降りることで、国際秩序の行く末も懸念されます。
そうした中、ベトナム戦争が泥沼化しつつあった1968年にリリースされたポール・サイモンの「アメリカのうた(テューン)」が思い出されます。「ぼくは何度も間違いを犯し、何度も混乱に陥った」「打ちのめされたことがない人なんているだろうか 心穏やかでいられる友人なんているだろうか 夢はみな打ち砕かれ、崩れ落ちた」などと悲壮感や虚無感が漂う歌詞が並ぶ一方で、メイフラワー号や自由の女神、アポロ11号などアメリカ的イコンが歌いこまれ、かすかな希望を感じさせます(野田研一「アメリカ幻想」『アメリカ文化55のキーワード』ミネルヴァ書房、2008年参照)。そしてアメリカ人が自らに言い聞かせるようなセリフが続きます。「ぼくたちは今、不確かな時代を迎え、〈アメリカのうた〉を歌う。ああ、でも大丈夫さ、心配ない、大丈夫なんだ」。
現在のアメリカを覆う闇は底知れず深いけれど、これまでの歴史がそうであったように、どこかに光を見いだせると信じたい・・・それは遠く海を隔てた島国でアメリカを研究する私たちも同じではないでしょうか。アメリカを批判しながら、たまらなく引き付けられ、心揺さぶられる。そういった思いを皆様と共有し、新たな一歩を踏み出したいと考えています。
最後に、会員の皆様のみならず、アメリカに関心のある幅広い層の方々に、年次大会の会場に足を運んでいただき、学問の垣根を超えて、自由に議論に加わっていただきますようお願いしまして、就任の挨拶とさせていただきます。